この辺でNadia誕生秘話

全ては震災直後報道の仕事で東北地方から戻ったクリスティンからの3月20日の一通のメールで始まりました。彼女は友人何人かにメールを送り、被災地の惨状を語りました。
「テレビの前で嘆いているだけでは何の役にも立たない。避難所の人たちは物資も足りず、家の状況はとても自分たちの手に負えるものではない。東京にいて募 金に励むのももちろん大切な支援だが、被災地では手と足が圧倒的に足りない。自分たちの食料と滞在を確保してすぐに支援に行こう!」

すぐに手を挙げた友人と3人で3月24日、東京を出発し仙台から15キロ程の多賀城市で活動を始める事となりました。震災からまだ10日程、余震も続きガ スなどのインフラは仙台市内でも戻っていず、ホテルなどの営業も再開していない状態でした。唯一状況を理解し私たちを受け入れてくれたのは、いわゆるラブ ホテル、そのホテルの心遣いにより我々のボランティア活動が可能になったのでした。

1部屋に女性3人、被災地に迷惑をかけないよう食料や飲料水は全て自宅から持参しましたが、何より助かったのはホテルに電子レンジがあった事。ガスが復旧していないため作業後にシャワーを浴びれない不自由さはありましたがそれは被災者の方も同じ事、Hotel Bonitaにはどれだけ感謝してもしきれません。

多賀城市でのボランティア活動は救援物資の仕分け、市役所内の案内、被災者の方の家の掃除、家具の運び出しなど多岐に渡り、そこで被災地ではどのような支援が必要かがよく分かりました。
週末になると、さらに3人の友人が仕事を終えて合流し、計6人で多賀城市でのボランティアにあたりました。夜になるとHotel Bonitaで持ち寄った食料とワインと共に今後の活動のプランについて語り合ったものでした。

そして、さらに大きな規模で活動を続ける為一度東京へと戻りましたが、その後すぐにまた被災地に戻り、それからは週末ごとに毎週宮城県に行くことになったのです。

活動していくうちにさらに被害のひどい地域が沢山ある事を実感し、大きな被害を受け未だ復旧の目処が立っていなかった石巻市で活動することになりました。

震災直後は東京から必要なもの、支援物資は東京から運んでいましたが、震災後2週間もすると被害の少なかった地区が徐々にスーパーやレストランなどの営業 を再開し始めました。お店に十分品が並ぶようになると、地元の経済を活性化する事も支援の1つだ、と考えるようになり、避難所の必要としている物を聞き、 それを東京から持っていくのではなく、地元のお店で購入し調達するようにしました。食料もお弁当を地元でオーダーして宅配していただいています。

宿泊についても同様、まだ状況が安定しているとはいえない為観光客の足が遠のいている現状のもと、野営するのではなく出来るだけ地元の旅館などにお世話になるようにしています。こういった、小さな事が経済を活性化させ、雇用の安定にも繋がっていくとNadiaは考えています。

全ては惨状を目にした1人のメールから始まりました。自然の威力を前に自分の無力を感じている方がいたら、1度Nadiaの活動に参加してみて下さい。そして、あなたがその目で見た事を周りの方に伝えて下さい。

あなたもきっと世界を動かす事ができるはず。。。

「この辺でNadia誕生秘話」への3件のフィードバック

  1. I am looking for a place for 23 American & Taiwanese volunteers to stay for 11 days in late-March 2012 in or near Ishinomaki. Can you please send contact info for any ryokan. Like you, we are happy to help the local economy while offering our services.

      1. I understand about needs evolving (I led two tsunami relief teams to Thailand)

        I’ll be flying in to Sendai Jan 22 – 26 to scout out the situation for our group. Can we meet?

        Let’s communicate by e-mail heberer@hotmail.com

        Ray in Taiwan

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