Nadiaの皆さんが確かに残したもの

今日はこれまでに何らかの形でNadiaの活動に参加してくれた皆さんに,是非ともお伝えしたいことがあります。

nadia1半壊した家の前で岡田さん(仮名)とその奥さんに私が出会ったのは1ヶ月前で,その時2人はまだ自分たちの身に起こったことを受け入れられていない様子でした。既に津波が来てから2ヶ月が経っていましたが,彼らは家の2階に住んでおり,毎日避難所へ食料を取りに行くという生活をしていました。岡田さんの奥さんは親戚の3人を津波で亡くしていました。

私たちは彼らの庭や家の中の掃除を手伝い始めたものの,それは決して簡単なことではありませんでした。岡田さんは何を残して何を捨てて良いのかの判断が付かず,そのために私たちの仕事はなかなか進みませんでしたが,それでも私たちは彼のペースに合わせながらも懸命に片付けを手伝いました。

彼の奥さんは石巻市に建てたその素敵な家を残し,娘たちの住む仙台市に移住することを考えていました。彼らの家の裏の倉庫にあった肥料が腐って悪臭を放っていたため,そこでの作業は困難を極め,彼らもそこに住み続けることが難しかったのです。そのこともあって奥さんは石巻の自分の家に住む自分を想像出来なかったのです。岡田さんも自分たちの家から必要なものを集め,奥さんの後を追って仙台に行こうと考えていました。

その週末は一生懸命作業をしたものの,私たちは全ての作業を終わらすことは出来ず,その翌週以降も私たちの後を引き継いだNadiaのメンバーが3週に渡って通い続け,ようやく彼らの家と庭の掃除を全て終わらせることが出来ました。

先週私は彼に挨拶をしに彼の家に行ったのですが,彼は不在でした。それでも彼の奥さんと会うことができ,彼女はNadiaのボランティア達に対して何度も感謝の気持ちを述べてくれました。彼女は本当に嬉しそうにNadiaの3週間の活動について語ってくれ,私はNadiaがしたことの素晴らしさを感じずにはいられませんでした。

その時彼らの娘がたまたま奥さんに電話をかけてきたのですが,Nadiaのメンバー,つまり私がそこにいることを知るとぜひ私と話したいと奥さんに言いました。私が電話に出ると,娘さんは彼女が仙台で働いているために彼女の両親を手伝えなかったこと,またその代わりにNadiaが彼女の両親を支えてくれたことに対し,泣きながら私に感謝の気持ちを述べてくれたのです。私たちは落ち着いたら一緒にお茶でも飲みましょうねと約束をしました。

私が東京に戻った6月27日に岡田さんから電話がありました。彼は私が彼の家に行った時に会えなかったことを詫びながら,Nadiaのボランティアの皆が3週間にも渡って継続的かつ力強く彼を支え続けてくれたことに感謝していました。

そして彼は同時に素敵なニュースを運んでくれました。今彼らは,家の2階にしか住めず,1日に1回は食料を取りに避難所に通わなくてはならないにも関わらず,石巻の家に住み続けることにしたと言うのです。家や庭がきれいになったことで,そのことが岡田さん夫婦にNadiaのメンバーの懸命な働き,そして彼らがそれを常に笑顔や前向きでエネルギッシュな熱意を持ってやっていたことを思い出させてくれるのだそうです。Nadiaのボランティアのおかげで,彼らは以前より落ち着いて現実を受け止めることが出来るようになっていました。彼らは自分たちのペースで家の修繕を行い,新しい人生に向かって行こうとしています。

私からNadiaに一度でも関わってくれた皆さんへの感謝の気持ちを述べたいと思います。Nadiaに参加しようと思ってくれたこと,実際に参加してくれたこと,現地の人を助けてくれたこと,そして友人を連れて来てくれたことに対して。私たちの熱意と人を思いやる気持ちが確かに石巻を変えています。私はこの話は決して今回だけの話ではなく,Nadiaの皆さんがこれまでに手助けをした全ての人に希望を与えたと強く信じています。

まだまだ復興のためにすべきことはあります。そして私たちが被災者の手助けをすることで岡田さんのように通常の生活を取り戻すことの出来る人がいるのです。皆さんとまた一緒に活動をする日を楽しみにしています。

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